放浪記

何気ないようで、やっぱり何気ない。そんな日常を綴っていきます。

二度寝前

Nさんは早々に仕事に行ってしまったので、今この家には私一人しかいない。3日間続いた雨はようやく上がり、さっきタバコを吸いに外に出ると空は晴れていた。アスファルトはびちゃびちゃに濡れていたので、夜も降り続けていたのだろうことが分かる。連日続くのんびりした日々は、そう長くあるものではないので、今の何もない時間を大事にしたいなと少し思う。昼ごろには、応募した派遣会社の求人先から多分連絡がくる。あとこの前行った、難波にある人材請負い会社の面接結果も今日わかる。今日でこれからの進路が決まるといっても過言ではない。結果が分かり次第、シェアハウスの運営先に旨を報告する。

ただ今は朝なので、さてどうしようかと気怠げで少し眠たげな意識の居所を探している。外に出て散歩でも行こうか。それともこの温かな部屋で読書をしようか。昨日初めて会員登録したNetflixで映画を探ろうか。

こんな、これからの選択を決められる現状は贅沢になるのだろう。広々と心が広まっていき、限られない可能性の渦がある意味の混乱に陥れるような、人は決められたことをこなすように作られてはいないのだろうことがよくわかる。しかしずっと平坦で、波風のたたないほどに決まり上げられたルートを進み続けてきた、配達でのおよそ8ヶ月の間に、私の日常は固定化されていたのだ。だからこそ、今こうして急な展開とも言える放浪の出だしの中、ルートから大きく外れた私に降り注ぐのは、混乱に似た、悩みとも違う、持て余すだけの意識だけだった。まだ数日前の出来事でしかないのに、配達の激務に追われてささくれていた日々が遠い過去のように感じる。まるで季節が変わったように、秋の頃に夏の暑さを思うように。

豊かに生きていくことを、ほぼ全ての人類が共通として願い続けているのはおそらくその通りで、しかしそれでもなお、人は仕事に苦しめられたり、仕事に追われたり、誰かを罵り、蔑み、心を貧しくしていく。それを誰かからの支配として見ているペシニズム的思考もあり、そしてその支配はある意味では本当のものでもあるが、それ以前に固定化された概念というものに、自分が絡められていることに、果たしてどう気づくべきであろうか。生きるためには豊かである必要がある。豊かになるには、考えなければならない。考えるためには、気づかなければならない。固定概念は、紛れもなく自分が作り出した檻であり、そこから出られないのは他人とは関係がない。しかしそこから脱する術を教えてくれる人もいない。そしてなんだかんだでそこでの居心地が悪くないと思い始める。仕事とはそういうものだから、と世間の厳しさに答えを照らし合わせて。

ぼんやりしながら書いた。もう少し寝ます。

では。


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