濡れた肉まん
Nさんは隣の部屋でピアノを弾いている。
私は肉まんを蒸し器で温めているが、いつ出来上がるのかもわからないので、ずっと居間で完成するのを待っている。料理を蒸す経験もなく、それもまた初めての試みとしてやってはいるものの、もしや焦げてしまわないかとか、そんなありきたりな心配ばかりしている。それくらいありきたりな日常なんだと思う。
ストーブの火に足裏を温めながらこれを書く。
仕事は依然として決まらないため、その無職をたんと味わうことしかない自分の行動規範に、もう焦燥とか失望とかくだらなすぎて鼻で笑うしかないことに先ほど気づいた。つい癖のように厭世がまとわりつくわけで、それを自覚の強さで取り払う。その厭世の繰り返しが、小さいことから大きなことまでたくさんあるから、もう鼻で笑うしかないのだ。
ストーブで焼きすぎたせいで火傷しかかった足指を庇いながら台所に行き、蒸し器の様子を見た。内部で充満した水蒸気が蓋の穴から線となって少しずつ漏れている。一旦火を消し、中の二つの肉まんの様子を見る。肉まんは底がびちゃびちゃに濡れていた。水を入れすぎたようだ。熱い、熱いと、少しずつ指先で触れながらその二つを皿に移す。肉まんは生地の色が変わるほどに水分を多く含んでしまったので、裏面を上にして少し干からびるのを待つ。およそ2、3分そのまま放置したあと手に取ると、しなびれた生地も少しは形を強く保つようになったので、まあこれで食えりゃいいかとかぶりつく。味は普通の肉まんだった。電子レンジで温めるのとそう変わらない出来栄えのものだった。
Nさんの家には電子レンジがない。電子レンジがなくて蒸し器が置いてある家も珍しいものだ。Nさんには独特のこだわりがある。たとえば味噌は手作りだったり、界面活性剤の洗剤が置いてなかったり、醤油は一升瓶で買ってきたり、白い灯の電気が苦手だったり。私はそのこだわりに触れながら居候の日々を送っている。それがまた一つの居心地の良さになっているのかもしれない。
私もまた、いろんなこだわりを持っているのだろうけれど、とりあえずはわからないし、気にならないとも思っていたりする。でもとりあえず、冷蔵肉まんは蒸しても電子レンジでもあまり変わらないらしいので、そこのこだわりを持つことはないだろう。
Nさんはまだピアノを弾いている。一人でタバコでも吸いに行こうか。