放浪記

何気ないようで、やっぱり何気ない。そんな日常を綴っていきます。

私、心配性なんです。


仕事が決まらない居候の現状にモヤモヤが止まらなくなっている今、ああ、そういや私は心配性だったんだと思い出しました。もし、このまま仕事が決まらなくなればどうしようだとか、そういや最近の食費に結構な額を使ってしまったせいで入居予定のシェアハウスの初期費用が足りなくなりそうだとか、そんなことばかりが頭の中を巡ります。

そのせいで読書も映画も音楽も、まともに楽しめたものではありません。周りからは結構大胆な奴だと思われがち?のようですが、別にそんなことはなく、かなり繊細で脆く、いつもどうでもいいことで神経をすり減らしています。ならば安定した道のりを模索すればいいのではと思うのですが、いや別に自分はあえて不安定な道を進もうとしているつもりもなくて、ただ単純に自分なりに普通の生活を意識しているつもりです。なのに色々と失敗したり、仕事を失ったり、仕事を続けて病んでしまったり、家でストレスを抱えてしまったりと散々なわけで、その結果がNさん宅での居候というわけです。

あと、自分は待つことが苦手な人種のようで、待たせている側にこれからの進路を掌握されているような気がしてならない。求人応募しても、返事が返ってくるのが2日後なんて、遅すぎて気が狂いそうになる。すぐに結果が欲しい。せっかちなのでしょう。あと自分の行動で変えてしまいたいと思う気持ちが強く前に出てしまっているせいで、他人に身体を預けるのも一苦労。これから先が危ぶまれます。

もっと人を信頼できたら、といつも切に願うのです。いつかSさんに言われたことですが、なんでもかんでも一人でやろうとしすぎのようで、悪く言えば他人を信頼していない。他人に身を預けるくらいならたとえズタボロでも自分に預けたい。そうじゃないとそわそわして仕方がない。そんな奴に育ってしまったのです。哀れ。

こんなんでも多少は成長しているようで、自分のことを理解してくれている数少ない人には、めちゃくちゃ頑張れば頼ることもできます。Nさんにしばらく泊めてほしいとお願いした時も、それはそれは頑張りました。一生懸命LINEの文章を考えて、失礼のないように。それでやっと人にお願いすることができる奴です。

ああ、もっと早く現金の使い過ぎに気づけばよかったんだくそう、とこれもまた自分の後悔の念が強いことを表しています。いつもそうやって、後から気づく失敗に対しての悔みが大きいわけです。前もって何かを準備できたらいいのですが、何故かそれもまたできない。嘆いていてもしょうがない、と言いつつも、ふと思い出すたびに苦しめられるわけなのです。

なんかもう疲れた。なんで何もしてないのに疲れなければならないのか。本来ならばもっとゆったりした居候ライフを送っていたって構わないはずなのに。次のこと次のこと、いちいち考えすぎて、かなり気が滅入ってしまっている。精神面は前職でかなり鍛えられたと思っていたのですが、繊細で心配性なのは相変わらずのようです。

配達の仕事をしている時、毎日のように心配ばかりしていました。時間指定に間に合わなければどうしようとか、荷物が多すぎて一人で終わらせられなかったらどうしようとか、渋滞に引っかかって予定よりも時間を食ってしまった時とか、車内から目的の荷物が見つからないときとか、冷や汗や舌打ちの連続で、今思い出しても見苦しいのですが、それでも乗り越えられたことだけでもよかったのかなと。

でもその経験が自分の精神を強く鍛え上げてくれたのだと考えるのも、お門違いの模様で、多分その経験があってもなくても、自分は今の状況に悩まされることには変わらないのだと思ったりします。人はそうそう変わらないのでしょう。

とりあえず、なんとかしなければ。


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