放浪記

何気ないようで、やっぱり何気ない。そんな日常を綴っていきます。

ふと内を見た時にきづくもの


こわいこわい、私は世間が怖いのです。

なんでも、生きているだけで働かなくてはいけない社会の中に放り込まれて、

自分の内面が求めるものに応えてき、

そして外の世界に生かされていくことそのものにも対面していかなくてはならない、その揺るぎない事実が怖いのです。

いくら外の世界から自分を切り離そうとしても、

結局はそのままのたれ死んでしまうカウントダウンが始まるしかなく、

そうかといっていざ外の世界に切り出すと、

やれ仕事の人間関係とか時給や日当がいくらとか、

来週までに支払わなければならない健康保険とか年金とかに、

惑わされる毎日が始まるのです。

そして色んなやりくりをしてまでも、

理想の生き方や生活を想定して、辞職したり引っ越したりとてんやわんやにもまれていく。


そして新天地の中でまた新たな問題も湧き上がってくるわけなのです。

そんな世の中に生きていて、

はたして健全な心身を保ちながらやっていく方が難しい話であり、

私のこんな悩みもまた贅沢なものとして切り捨てられてもおかしくはないのですが、依然としてそれは現実の世界の話であり、私の綴っていることもまた事実です。


何も考えずに生きていくことこそが、

生き物としても幸せなのです。

同時に何も考えないことは、

人間としての不幸せなのかもしれません。そして社会の大きな割合を占めることが、生き物として都合よく生きていくこと

無駄なことは考えるなという無言の圧力でもあります。

しかしそういう風に皮肉を思いついたこの私自身でさえ、

無駄なことを考えない手段が生きていくためには必要であり、

私の過去もまた、

その思考の渦から飛び出すための手段としてあらゆる場面で用いてきたものでございます。


そうでもしなくては、

前職での配達の繁忙的な仕事や、

気の合う仲間たちとの交流、

何度目かの放浪なんかも、

全てが片づけられなくなり、

外の世界がぐちゃぐちゃのままに後始末も追えないザマになることが想像に難くないわけです。


それがまた、独特の娯楽めいた味わいを深めることもあったりします。

友達の家で何日もベラベラとお喋りをすることも、

それは私の内面が求めていた想像の範囲外のことなのでしょうけれども、

それがまた愉快でもある。

いつまでも社会との断絶を考えて、

どこまでも逃げ続けていても社会は一生変わらないわけです。


なのでこの恐怖心は、

私の課題、乗り越えた先の娯楽を求めるための前段階のようなものでしょうか。

外の都合に合わせて、

内面の都合が苦しめられていく生き地獄もまた、

自分の生き方を変えていく中でうまく帳尻を合わせていかなくてはならない。


だから私は世間と張り合っていくのです。そして社会を嘲笑うようにして生きていくのです。

私の課題はそんなところです。


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