緩やかな一人
カントの純粋理性批判の解説を読んだりしている。
最近Tーさんの影響もあって哲学入門なんかをキンドルで読んだりしている。
2月は、暇があれば哲学の本でも読んでおこうかといった具合に、緩やかな目標としている。
淀屋橋の駅前のベローチェでこれを書く。
となりの席で、二人の若者が怪しいビジネスの話をしている。
気取ったオールバックツーブロックの自称25歳と名乗る男が、
胡散臭い脱税の話やら会社立ち上げの話をクールぶって対面の男に話している。
話を聞いている男は少し億劫気味に、
やれキャバクラの領収書の相談やら、先の将来の不安の話なんかをしている。
なんというかオールバックの男がペテンめいた仕草の一つ一つで、
対面の男をうまく操ろうとしている具合にしか見えないのが、なんだか滑稽というか...。
多分ネットワークビジネスの話をしている人たちの空気感も、こんな感じだろう。
自分も過去に、やれ何とかスキンとかアム何ちゃらとかの取り巻きに囲まれた経験もある。
今思うと非常に滑稽な、うちわノリ的な組織ばかりではあったのだが、ひとつ選択を間違えれば、きっと自分も易々とそういった組織の中に染まって、ある意味幸せな人生を歩んでいたのかもしれない。
今のご時世、何かに染まりきった方が楽なんだろうなぁと、ぼんやりと考えたりもする。
しかし滑稽さはどんな人間にもあっても、それが必ずしも愛嬌の一つとして成り立つとは限らない。
滑稽さとか間抜けさとか、そんな不完全な要素が人間らしいといえばらしいのだけれども...。
時は経つ。
この1時間の間に、久々にFさんから連絡が来て、以前私が使わせてもらっていた車の車検証を知らないかとの旨を伝えてきたのだけれども、
はてさて、ダッシュボードに入っていなかったらどこにあるのか不明である。
薄緑の紙が入っていなかったかと聞いても、それはどうやら自賠責保険の証明書のようらしく、車検証はまた別のものだそうだ。
おかしい。
しかし無意識にあちこち物を置いてなくしてしまう私のことだから、またどこかに仕舞い込んで、車検証は誰かに見つかるのを待ち続けて冬眠中の可能性はそれなりにある。
すいませんがわからないですねえと話して、何故かお互い億劫な感じで世間話の一つもなしに電話は終わった。
その後、
就職支援をしてくれる会社の担当の方と、面接対策の連絡をした。
こんな、いかにもクリーンな感じの就活なんて、一体いつぶりだろうか。
今まで、誰かしら人とのつながりが先の進路を導いてくれていたことが多かった。
前職もそうだし、
京都の山間部での茶工場の仕事とか、
そのあとの小さな土木?会社なんかもそうだし、
リゾートバイトをしていた頃も、S字との偶然の再会によって次の行き先が決まったりと、
私の進路はNさんに笑われるレベルのものだったりするわけだ。
今回こそは100%自分一人での挑戦となるだろう。
よくよく考えると、シェアハウスに住んでいるくせに、今の私はまあまあ孤独だ。
みんなの賑やかさとは離れたところでポツンと生きている。
でもまあ、そんな日常も悪くない。
でも共有ルームには気兼ねなく顔を出したい今日この頃。