放浪記

何気ないようで、やっぱり何気ない。そんな日常を綴っていきます。

立ち上がる今

共有ルームでは相変わらず談笑の声がわたしの部屋まで聞こえてくる。

そしてまたまた相変わらず、

ベランダの向こうからは、

車が通る音が容赦なくわたしの耳をつんざく。

もう、この生活にも慣れてきたと思う。

 

ふとしたような微睡の中でこれを描く。

 

昨日まで、

いやついさっきごろまで、

わたしは腑抜けていて、

必要な時間だと割り切りながらずっとげんなりとふてくされていた。

ある種子どもじみていて、

やるせなく時の流れに身を任せていた。

時間は当たり前のように、

わたしの時間をどんどん進めていく。

そしてその進んでいく川の中で、

わたしの意識の中から、

少しずつ砂利が溢れ流れていくように、

焦燥とか、後悔が減っていく。

わたしはそれを見届ける。


そして立ち直る。


フラフラと、

病み上がりのようにわたしは立ち上がり、

もうほんとに精神は安定したのか、

それともまだ、病み上がりのままの、

健康になったつもりの強がりなのか、

確かめるように二足を安定させる。

身体はふらつかない。

 

よし、わたしは立ち直ったようだ。


心のあらゆる面に敏感な奴は、

やはりこんな時も多い。

色んな事象が鉄砲玉のようにわたしを貫く。

ふにゃふにゃの身体はそれから守る術もなく、あっさりとわたしの肉体に食い込んで、

体内の組織を乱していく。

側から見れば、なんのことだかわからない、

わたしのあっけないやられ具合を、

無理やりにも表面化させないように、

冷静な対応を心がける。

時折周りに存在している、

屈強な精神の者たちを思い浮かべて、

まるで自分がその者たちと同じような厚かましさであったかのように、

見様見真似で耐えることを強いる。


それで、

ようやく誰もいないところにたどり着くと、

すべてのスイッチが切れたかのように、

わたしはぐったりと床に寝転がる。

ひんやりとしたフローリングが優しくわたしの身体を冷やす。

熱を帯びた病的なわたしの身体が、

だんだんと冷えていく。

肉体が適切な温度を探し、

外界の床からの温度を吸収し、

適温を保とうとする。

目は閉じて、耳は虚空をすまし、手足はクラゲのように力を抜いて。

 

わたしの過去の事象が、

今のわたしの現在のすべての結論だ。

だから過去は生きている。

死んだ過去など、存在しない。

どんな小さなことでも、

わたしの体のどこかは、

いくら生まれ変わったとて記憶し、

新しい生まれ変わりのわたしに引き継いでいく。

どんなトラウマも、幸福も、絶望も。

 

だからなくすことはできない。

失敗は次の成功に活かすことができるが、

過去の失敗は永遠にわたしの中だ。

それを表面化して、

そして誰かの意識にはいってしまったのならば、

それは受け手の意識の中で時を送るのだ。

だから取り戻せない。

だからいくら過去を悔やんでも、

わたしは加害者の一人なのだ。

 

願うならば、

その受け手たちが、

わたしが投げ渡してしまった過去をどうにか未来に活かしていくしかない。

誰もが例外なく、

過去のものとして片づけられない遺産となっている。

そしてわたしもまた、

誰かからの刺激やメッセージ、

そしてほとんど関わりのない出来事を受け止めて、

それをわたしのどこかが保っている。

だからわたしもある種の被害者である。

 

しかし、被害者面する気持ちも起こらない。

大人になった今、

理性や道徳や概念がある程度形成された今、

虚しいことに自己の保有は自分でしていかなくてはならない。

それが試されている。

人生はいつだって試されて、踊らされて、使い古されていく。

 

騒がしい夜。

この騒がしさに紛れ込んで、

すべてを忘れることだって可能だ。

わたしが過去に引き継いだこの身体のままで、何もかもをリセットしたような気になって、

お祭り騒ぎで未来をワクワクしたように駆け上がっていくのもまた容易い。

なんと素晴らしい未来だろう。

愛なんかも忘れて、

自分の塊を誰が知る由もなく、

強い強い自己をうまく散漫させて、

外面ではわたしの心に気づかない。

そんな形が、今は素敵だと思う。

 

そしてわがままな自分は、

その強い自己を、

絶対に揺るがない塔として、

どんどん積み上げていく。

 

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