放浪記

何気ないようで、やっぱり何気ない。そんな日常を綴っていきます。

退屈しのぎ

 

読書はわたしの頭の中を文章で貫通していき、脳細胞やら血液やらを乱していく。

そして既存の潮流を完全に殺すことなく、

また新たな流れのリズムを形成して、

その頭が今のわたしの見るものすべてを外界として扱っていく。

同じような日常の中でも、

少しの乱れが発生したおかげで、

いつもの外界と僅かに違ったものに見られたりする。

 

いつもと同じ個室で目覚めて、

相変わらずベランダから聞こえてくる車の音は騒がしい。

まるで昨日と同じループの世界だと認識することは容易いもののはずなのに、

揺るがすことをやめないわたしの「見る目」が、

同じような世界を違う色に際立たせてしまう。

 

なんとなくで生きていくことも容易い。

環境を保持して、

明日への希望も絶望もない、

ほとんど停滞に近いリズムを作り上げる。

そんな人たちで溢れているように見えるのだが、

それもまたわたしの偏見だろうか。


実験的な生活が望ましい。

毎日に少しずつ狂ったような彩りを与えることが、

退屈しのぎのコツなんだと思う。

苦しみに塗れている時、

悩みの生き地獄に辿り着いて抜け出せない時、必要なのは狂気だ。

楽しくて辞められない、

退屈しのぎの狂気なのだ。


だから悪意はある。

悪意を捨てることは難しい。

なかったことにして生きていくのもジリ貧だ。悪意は遊ぶためにある。

そして善意は生きるためにある。

どちらも捨てがたい素敵な意識だと思う。

 

たまには小難しく考え込むのも大切だ。

世の中多忙に塗れている。

しかし、多忙をよろしくないとする見方自体は1世紀頃からすでに言われている。

そろそろ学ぶべきだろう。

わたしたちは暇を作る。

そして悪意を弄ぶ。

そして善意で社会とつながり、

明日につなげていく。

 

退屈しのぎは奥深い。

 

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