放浪記

何気ないようで、やっぱり何気ない。そんな日常を綴っていきます。

共有ルームのひとり

ワイワイ話している女性たちを尻目に、

さりげなく共有ルームで味噌煮込みうどんを食べていた。

韓国人?のM氏は黙々とジオラマを作っていた。

わたしは彼の向かいの席でずるずるとうどんをすすっていた。

 

食後にこれを書く。


共有ルームでは子供を産みたいけれど相手ができないとか、

日本の経済状況はヤバイとか、

中国や韓国は日本の少子高齢化がどうなるのかを見張っているとか、

真面目なのか何なのかよくわからない話が咲いていた。

もちろんわたしはその中に混じれずに、

ひたすらにうどんを啜るだけの機械になっていたのだが。

もしわたしがその話に混じったとしても、

なんというかナンセンスなことしか言えないんじゃないかという、

いらぬ杞憂もあり、

ひたすらに耳と舌を働かせていた次第。

でもこうしてさりげなくキッチンで料理してご飯を食べるくらいには気兼ねしなくなったということだけで、

今晩はまあ良かったんじゃないかと。

 

仕事の研修もあと1日で終わり、

おそらく来週からはいよいよ本格的な業務が始まるわけだが、

月曜日からの座学やパソコン研修による情報量の多さに頭も容量オーバーになりそうだ。

それの言い訳ではないが、

今週からあまり読書のペースも進んでいない。カントの純粋理性批判の和訳を読み進めていたが、

途中まで読んで、少し間が空いただけでどんな内容だったかを忘れてしまう。

いや元々そんなに意味を理解しながら読めていたわけではなかったからいいものの、

読み始めた時の愉快な読書リズムの方を忘れてしまって、

読み進めてもなんとなく突っかかるような感じだ。

もう少し粘って、それでも無理だったら他を読もうかと。

 

いろんな状況の変化も、

おそらくは落ち着いてきた模様で、

そこそこの安心感と、

少しだけ余韻に引っ張られたままの疲労具合が、

程よい感じに時を進めていく。

しかし課題はまだまだあって、

それはこの文面に表すのも悩ましいほどに、

わたしの中を征服している。

いや決して絶望とか、焦燥じみたものではなく、ほんの少し華やかというか、まあ説明するのは難しい。

 

寒い日が行ったり来たりしているが、

もう2月も後半に差し掛かった。

春になる頃には、わたしの色々もまた良き方向に変わってくれることを願っている。

 

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新しい環境に新しい環境

寝不足気味でこれを書きます。

 

昨日から新しい仕事が始まって、

新しい職場に見慣れない顔ぶれと、

またもや環境は変わりました。

しかも今回は、

今まで経験したことのない高層ビルのオフィス内。

新鮮さもあり、

慣れないところで少し疲れたり、

それでも楽しみだったりと。

昨日から一斉にスタートした、

大量募集の仕事なので、

皆が皆初めての場所に来たことになる。

今週は座学を始めとする研修となり、

私たちは大学の小教室のような部屋で講師となる人の話を聞きながら、

レジュメをめくっていく。

 

この環境は既視感のように懐かしい。

初めましての人たちばかりで、

最初は皆緊張して隣の人とも話さないけれど、少しずつ打ち解けていき、

今ではこの人見知りの私でも、

隣の席の人と話したりしています。

ほんの少ししか話していませんが、

この時点でシェアハウスの面子たちよりも話している量が多いような...。

 

自分がどのタイミングで人と打ち解けていき、どのタイミングで壁を張るのか、

いまいちその法則性が掴めないわけです。

今の職場は昨日から始まったのに、

今月から2週間以上同じ場所に住み続けている人たちとはなんとなく疎遠な態度をとってしまう。

 

何故??

 

別に悪い人たちではないし、

むしろ親切でフレンドリーなのだろうに。

多分居住者の人たちも私に対して、

思っていることはあると思う。

あの人全然顔見せないなぁとか、

冷たい奴だとか、

考えているんでしょうかね...。

 

でもあんまり気にしなくなってきた気がする。話す量は相変わらずだけれども、

悩んでいたって仕方がない。

毎日同じような日が続いているようで、

少しずつ変化もしているし、

26日はSさんたちとケンタッキーパーティーをするというジャンクにまみれた約束もあることだし、

今の職場でももしかしたらご縁があるかもしれない。

割と前向きっちゃ前向きなのです。

でも今は眠いので寝ます。

 

あまりまともな文章もかけやしねえ。

おやすみ。

 

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朝食後のだれかさん

 

朝です。

 

ただ今6時15分。

 

早起きがしたいわけでもありません。

 

腹が減って目が覚めたのです。

 

昨日の晩飯を、軽くつまむ程度にしたせいか、

朝の5時頃からまるで痙攣してしまいそうなほどに空腹感が襲ってきました。

 

朝ごはんに焼きそばを食べました。

 

多分、朝にソース焼きそばを食べたのは人生で初めてなのではないかと、私の記憶はそんなところです。

 

誰も起こさぬように、共有ルームの台所に食材を持っていき、フライパンを温めてジュウジュウ炒めていました。

 

静かな空間でペロリと平らげ、今は痙攣することなく落ち着いています。

 

心も身体もまるで落ち着いています。

 

まるで昨日の憂鬱が、単なる空腹による倦怠感のせいなのではないかと思うほどに、今の私は冷静です。

 

ああ、飯って大事なんだなと。

 

明日からいよいよ、というかようやく、新しい仕事が始まります。

 

観光業のコールセンターの仕事だそうです。

 

応募した際に、クレーム対応は大丈夫かとの旨を聞かれて、いやそんなの知らんがなと思いながらも、即答で大丈夫ですと言った職場に、明日から行くことになります。

 

私のことなので、病んでしまわないか心配です。

 

巡り巡って今の環境にいるのですが、多分今の自分はイトミミズよりもか弱い存在になっています。

 

今まで色んな環境に飛び込んできたわけですが、こんなイトミミズほどになるのは久々かもしれません。

 

いつぞやの高野山での生活だって、もう少し図太く生きていました。

 

いつでも、誰かが暇つぶしのごとく私にちょっかいをかけてくれたおかげで、私の図太さは保たれていたのかもしれません。

 

ある人を思い出します。

 

性別も年齢もバラバラなままに、仲良くなったとある人を。

 

その人は暇があれば、というよりも暇を作ってまで、私と遊ぼうと、色々予定を立ててくれた人でもありました。

 

山登りをしたり、音楽をしたり、飲みに行ったり、まあ色々しました。

 

とあるすれ違いで今はもう交流していないのですが、別にいいでしょう。

 

仲良くなるもんはそのうち仲良くなるでしょうし。

 

今頃何してんだか。 

 

今頃何してんだかって、多分向こうも私に対して思っているのでしょう。

 

へへ、私は大阪にいるぜ、探してごらん。

 

そうやって煽ってやりたいものです。

 

きっとムキになるでしょう。

 

ああ、厄介厄介。

 

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さまよう

冷や汗をかきながら、梅田阪急ビルタリーズコーヒーでこれを書く。

哲学をひたすらに頭に詰め込んで、仕事の始まりを待ちながら、同居者の誰とも心を通わせない生活に、いよいよ気が狂ってきた模様。

慣れないままに哲学入門を読みながら、箸休めに谷崎潤一郎の中編を読む。

そしてさらに頭の容量が限界になってきたときには、当てどもなく歩く。

たまに文章を書く。

そうしたところで、しかし私の頭は晴れることなく、このむさくるしいカフェの中でじんわりと首筋が湿ってくるのを感じる。


呼吸が浅くなるのを感じる。


きっと私は孤独で、八つ当たりの一つも受け止める相手がいないままに、そしてその状況を打破することもしないままに、2月からの新生活を過ごしてきた。
新しい仕事が始まるのは明後日からで、まだ今日と明日は猶予がある。

むしろこの退屈をどうにかするものは仕事しかない気がする。

しかしどうせ仕事が始まればまた不自由さに冷や汗をかく毎日が始まるのではないだろうか。私に物事を楽しめる才能はない気がする。

ちょっと前まではあったのかもしれないが、今ではその芽もすり潰されてしまったかのように、うまく言葉がでてこない。

 

楽しくないのだ。


それか今の私は、進化の前兆なのかもしれない。

古い殻を破り捨てるのに一生懸命に苦労を重ねているだけなのかもしれない。蛹。

 

とにかく家に帰ってきた。
相変わらず息の詰まる毎日になる。

他のシェアハウスを選んでおけばよかったのかと、少しばかり悔いが生じる。

しかし居住者たちと打ち解けてられないのは紛れもなくこの自分に原因がある。

なんだかんだと理由をつけて、共有ルームに顔を出さないようにしているこの私に、他の人たちがどう声をかけるというのだろう。

無理な話だ。
だから私自身の手で、打破しなければならない状況なのだ。

たとえ頭が狂いそうで仕方なくても、新生活になじめなくても、誰とも話したくない気分に追いやられても、世界は勝手に進んでいる。
理不尽と思う自分が理不尽なのでしょう。

無念。

 

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哲学に染まりつつある頭の中

 

少しずつ共有ルームでの居心地もよくなってきました。

誰かがいてもそこまで気にせずキッチンで料理をしたり、ぎこちなくとも会話の量は増えてきたりと。

でもまだまだ自分を出しきれていません。

前職で毎日顔を合わせていた野郎たちに対してゲラゲラしていたあの時の私は遠い顔のように、

今はこっそりと座敷童子のように物音もそこそこに暮らしているわけです。

 

緩やかな個室でこれを書きます。

 

哲学を読み漁る日々はもうしばらく続きそうですが、

時折何を読んでいるのかわからなくなるほどに新しい概念や単語が飛び交うわけで、

たまにこうして頭の整理ともいえる形で自分の内面を綴ることが必要のようです。

アリストテレスとか、カントとか、デカルトとか、

いろんな偉人たちがこぞって現れて独自の思考を未来に残しておいたのだなと、

触りの部分でしか理解に及んでいません。

しかし、最初から全てを理解できるほどに、

私の頭はよくできていないわけでして、

少しずつ馴染んでいくように、言葉の端々から意識して自分の内面と統合させていきます。

そして知らぬ間に習得しているような、

ほぼ自然な成り行きで物事を覚えていくのが自分のやり方に合っている気がするので、

そんなふうにして接していくわけです。
哲学はここ最近のご時世、少し需要があるみたいでして、

過去の哲学者たちの文献を解説したものや、

哲学の歴史をわかりやすく執筆したものなどが、電子書籍等で気軽に読めたりします。

私も今まで、近代文学にそこそこ触れてきた者ですので、

作中でニーチェやカントの名前などはちょいちょい目にしてはきたのですが、

では一体彼らがどういった偉業を成したのか、それを追求したことは全くもってありませんでした。

今こそ、そんな哲学者たちを学ぶいい機会なのかもしれません。
今までまた何気なく読書をして、

読み散らかす具合で終わらせてしまうことが多かったので、

もうそろそろ、腰を据えた読書というものを経験してみるのも悪くないなと、

せっかちな自分を少し抑えた感じでやっていこうかと思います。

色々挫けそうではありますが...。
では。

 

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緩やかな一人


カントの純粋理性批判の解説を読んだりしている。

最近Tーさんの影響もあって哲学入門なんかをキンドルで読んだりしている。

2月は、暇があれば哲学の本でも読んでおこうかといった具合に、緩やかな目標としている。

 

淀屋橋の駅前のベローチェでこれを書く。

となりの席で、二人の若者が怪しいビジネスの話をしている。

気取ったオールバックツーブロックの自称25歳と名乗る男が、

胡散臭い脱税の話やら会社立ち上げの話をクールぶって対面の男に話している。

話を聞いている男は少し億劫気味に、

やれキャバクラの領収書の相談やら、先の将来の不安の話なんかをしている。

なんというかオールバックの男がペテンめいた仕草の一つ一つで、

対面の男をうまく操ろうとしている具合にしか見えないのが、なんだか滑稽というか...。
多分ネットワークビジネスの話をしている人たちの空気感も、こんな感じだろう。

自分も過去に、やれ何とかスキンとかアム何ちゃらとかの取り巻きに囲まれた経験もある。

今思うと非常に滑稽な、うちわノリ的な組織ばかりではあったのだが、ひとつ選択を間違えれば、きっと自分も易々とそういった組織の中に染まって、ある意味幸せな人生を歩んでいたのかもしれない。

今のご時世、何かに染まりきった方が楽なんだろうなぁと、ぼんやりと考えたりもする。

しかし滑稽さはどんな人間にもあっても、それが必ずしも愛嬌の一つとして成り立つとは限らない。

滑稽さとか間抜けさとか、そんな不完全な要素が人間らしいといえばらしいのだけれども...。

 

時は経つ。

 

この1時間の間に、久々にFさんから連絡が来て、以前私が使わせてもらっていた車の車検証を知らないかとの旨を伝えてきたのだけれども、

はてさて、ダッシュボードに入っていなかったらどこにあるのか不明である。

薄緑の紙が入っていなかったかと聞いても、それはどうやら自賠責保険の証明書のようらしく、車検証はまた別のものだそうだ。

おかしい。

しかし無意識にあちこち物を置いてなくしてしまう私のことだから、またどこかに仕舞い込んで、車検証は誰かに見つかるのを待ち続けて冬眠中の可能性はそれなりにある。

すいませんがわからないですねえと話して、何故かお互い億劫な感じで世間話の一つもなしに電話は終わった。
その後、

就職支援をしてくれる会社の担当の方と、面接対策の連絡をした。

こんな、いかにもクリーンな感じの就活なんて、一体いつぶりだろうか。

今まで、誰かしら人とのつながりが先の進路を導いてくれていたことが多かった。

前職もそうだし、

京都の山間部での茶工場の仕事とか、

そのあとの小さな土木?会社なんかもそうだし、

リゾートバイトをしていた頃も、S字との偶然の再会によって次の行き先が決まったりと、

私の進路はNさんに笑われるレベルのものだったりするわけだ。

今回こそは100%自分一人での挑戦となるだろう。

よくよく考えると、シェアハウスに住んでいるくせに、今の私はまあまあ孤独だ。

みんなの賑やかさとは離れたところでポツンと生きている。
でもまあ、そんな日常も悪くない。

でも共有ルームには気兼ねなく顔を出したい今日この頃。

 

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ふと内を見た時にきづくもの


こわいこわい、私は世間が怖いのです。

なんでも、生きているだけで働かなくてはいけない社会の中に放り込まれて、

自分の内面が求めるものに応えてき、

そして外の世界に生かされていくことそのものにも対面していかなくてはならない、その揺るぎない事実が怖いのです。

いくら外の世界から自分を切り離そうとしても、

結局はそのままのたれ死んでしまうカウントダウンが始まるしかなく、

そうかといっていざ外の世界に切り出すと、

やれ仕事の人間関係とか時給や日当がいくらとか、

来週までに支払わなければならない健康保険とか年金とかに、

惑わされる毎日が始まるのです。

そして色んなやりくりをしてまでも、

理想の生き方や生活を想定して、辞職したり引っ越したりとてんやわんやにもまれていく。


そして新天地の中でまた新たな問題も湧き上がってくるわけなのです。

そんな世の中に生きていて、

はたして健全な心身を保ちながらやっていく方が難しい話であり、

私のこんな悩みもまた贅沢なものとして切り捨てられてもおかしくはないのですが、依然としてそれは現実の世界の話であり、私の綴っていることもまた事実です。


何も考えずに生きていくことこそが、

生き物としても幸せなのです。

同時に何も考えないことは、

人間としての不幸せなのかもしれません。そして社会の大きな割合を占めることが、生き物として都合よく生きていくこと

無駄なことは考えるなという無言の圧力でもあります。

しかしそういう風に皮肉を思いついたこの私自身でさえ、

無駄なことを考えない手段が生きていくためには必要であり、

私の過去もまた、

その思考の渦から飛び出すための手段としてあらゆる場面で用いてきたものでございます。


そうでもしなくては、

前職での配達の繁忙的な仕事や、

気の合う仲間たちとの交流、

何度目かの放浪なんかも、

全てが片づけられなくなり、

外の世界がぐちゃぐちゃのままに後始末も追えないザマになることが想像に難くないわけです。


それがまた、独特の娯楽めいた味わいを深めることもあったりします。

友達の家で何日もベラベラとお喋りをすることも、

それは私の内面が求めていた想像の範囲外のことなのでしょうけれども、

それがまた愉快でもある。

いつまでも社会との断絶を考えて、

どこまでも逃げ続けていても社会は一生変わらないわけです。


なのでこの恐怖心は、

私の課題、乗り越えた先の娯楽を求めるための前段階のようなものでしょうか。

外の都合に合わせて、

内面の都合が苦しめられていく生き地獄もまた、

自分の生き方を変えていく中でうまく帳尻を合わせていかなくてはならない。


だから私は世間と張り合っていくのです。そして社会を嘲笑うようにして生きていくのです。

私の課題はそんなところです。


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